『田中角栄の国会演説と各党の代表質問』
<上巻・下巻>
編著:国会演説調査研究会(責任編集 神山 吉光)
第64代内閣総理大臣 田中角栄。「日本列島改造論」や「日中国交回復」
そして、ロッキード疑獄など、内外に話題を呼んだ政治家田中角栄の国会演説に見る。田中政治の集大成。
A5判 | ||
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上巻 | 360頁 | 1,500円(税込) |
下巻 | 290頁 | 1,500円(税込) |
国会演説調査研究会
政治家の国会演説全般を研究する会として、学者、文化人、新聞記者、公務員及び、団体役員などで組織する
閣文社の外郭団体の一つ。国会論戦に見る政党、政治家の資質、言行を問う。
『教育戦後史開封』
沖縄の教育運動を徹底検証する
著者:福地 曠昭
教職員の政治活動(祖国復帰運動)を全面禁止しようとした「教公二法」反対闘争の際、
右翼テロによって三か月の重傷を負い、危うく命だけは助かった。
米軍から本土渡航のパスポートを幾度も拒否された著者は、教職員会の役員となる。
「人権協」や「復帰協」等を組織して米軍と徹底的に闘った。戦後沖縄の教育運動史を開封する。
46判 | 332頁 | 定価 800円(税込) |
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著者紹介
著者 | 福地 曠昭(ふくち ひろあき) 1931年2月28日、沖縄県大宜味村喜如嘉に生まれる。 1956年青山学院大学中退。 |
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経歴 | 1952年辺土名高校教論 1989年沖教組委員長 1991年沖縄県国際交流財団副理事長に就任 1フィート運動代表 現在=沖縄人権協会理事長 |
著書 | 『村と戦争』、『糸満売り』、『沖縄女工哀史』、『防衛隊』、『少年護郷隊』 『沖縄の鍛冶屋』、『燃える海』、『沖縄戦の女たち』、『米軍基地犯罪』 『インジャ・身売りと苦役』、『沖縄の大工』 |
『日本から朝日新聞が消える日』
巨大「朝日」の醜態と
報道姿勢に鋭く迫る
著者:片岡 正巳
新聞に権威は必要である。しかし、権威が権力化したり自己過信や傲慢に変じてはならない。
「朝日」は果たしてどうだろうか。あの巨大「朝日新聞」が日本から消える日
46判 | 230頁 | 定価 800円(税込) |
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著者紹介
著者 | 片岡 正巳(かたおか まさみ) 昭和5年8月8日、高知県に生れる。 同29年明治大学文学部卒業。 |
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経歴 | 出版社に編集者として勤務ののち、 執筆活動に入り、ジャーナリズム、マスコミに関する 論評を多く手掛ける。 |
著書 | 『新聞は死んだ』、『朝日の「論調」ここが納得できない』、『朝日新聞はこの日本をどうする気か』 |
『日本に先生らしい先生がいるのか』
元国立大学長が現行教育を酷評
著者:川上 正光
「先生らしい先生とは、真の教育とはいったいなんなのか?」
我が国の現代教育の問題を問い直す国民必読の書。
46判 | 210頁 | 定価 1,000円(税込) |
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著者紹介
著者 | 川上 正光(かわかみ まさみつ) 1912年栃木県生まれ。 1935年東京工業大学電気工学科を卒業。 |
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経歴 | 1935年東京電気(現、東芝)入社 1973年長岡技術科学大学長 東京都科学技術功労章、紫綬褒章、NHK放送文化賞、文化功労章、勲二等旭日 重光章などを受賞。 |
著書 | 『電気回路Ⅰ〜Ⅴ』、『工学と独創』、『独創の精神』、『日本に大学らしい大学はあるのか』など 多数。 |
「先生は常に生徒より偉いんだという先入観を捨てる」
理論物理学者でノーベル賞を受賞した博士は、学生の頃、先生から教わった方法と違ったやり方で数学の問題を解いたところが、これはダメだと一蹴され、それに失望して学者に進むのを止めて理論物理学の道に進んだということである。その先生のやり方は、正しい考え方を否定する点では官僚的発想と全く同じです。
湯川博士の場合は、結果的にそれが良かったわけですが、大半の学生はそこで創造の芽を摘まれてしまうのです。
これは、大変な先生の罪です。そんな時こそ先生自身が解らなかったら、そのやり方を生徒に教えてもらうくらいの気持ちをもって大いに誉めてやってほしいものです。
先生は常に生徒より偉いだという先入観を捨てて本質を見極める努力をしてもらいたいものです。
(本書、主張部分より)
企画制作中
『東京裁判は証言する』<上巻・下巻>
不調に終った日米交渉、
その真相に迫る
著者:冨士 信夫
日米交渉の背後に何があったか。東京裁判423回の全公判に立ち会った著者が不調に終った日米交渉を徹底究明。日米交渉裏面史の決定版。
46判 | ||
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上巻 | 350頁 | 定価 800円(税込) |
下巻 | 280頁 | 定価 800円(税込) |
著者紹介
著者 | 冨士 信夫(ふじ のぶお) 大正6年富山県生まれ。 昭和13年海軍兵学校卒業。 昭和4年海軍練習航空隊飛行学生。 |
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経歴 | 昭和6年霞ヶ浦航空隊司令承命服務。 以後、法廷係として東京裁判の全審理を傍聴する。 |
著書 | 『私の見た東京裁判』(講談社学術文庫) その他、新聞雑誌に東京裁判関係の論考を多数寄稿。 |