神山吉光が吠える

<第76回>異色の経歴を持つ人物 ~『現代公論』夏季号の筆頭寄稿者、奥茂治の素顔~

2018.08.1




2018年 8月1日更新〈第76回〉 
 今回は『現代公論』の読者のご要望にお応えして、同誌「夏季号」で、従軍慰安婦問題「私は韓国に218日間も軟禁された」の大見出しで筆頭寄稿者となって、現在、話題を呼んでいる奥茂治氏の素顔を紹介しよう。

 <奥茂治氏は実に不思議な人物だ。鹿児島県奄美出身。戦後、尖閣諸島に最初に本籍地を移した人物といえば思い当たる人もいるかもしれない。元自衛官で、現在は南西諸島安全保障研究所所長。防衛庁(現防衛省)長官をはじめ、陸海空各部隊からの感謝状・表彰状の授与は37回にものぼる。だが現役自衛官だったのは5年間で、その後は予備自衛官として43年間連続して訓練招集に応じている。また、民間の立場から自衛隊を支援し続けその他にも異色の経歴を持つ。

本物の国士

 奥氏の友人で海上自衛隊同期の市川博紳氏が、次ぎのようなエピソードを披露してくれた。


インタビューに応じる奥茂治氏

「沖縄の復帰10周年記念で自衛隊の パレードが行われたときのことです。これを阻止しようとして1000人近い活動家が取り囲み、自衛隊反対のプラカードを掲げていました。彼らは罵声を浴びせるだけでなく、音楽隊の服を引きちぎったり行く手を遮ったりして。激しい妨害を繰り広げました。

 このとき、奥氏がたった一人、巨大な国旗と『自衛隊賛成』のプラカードを掲げ、活動家たちのど真ん中で悠々と行進を始めたのです。もちろん活動家たちが黙っているはずもなく、奥氏に殴るの暴力を加えた。奥氏はよろめき、顔にこぶやあざができていました。それでも怯(ひる)まず、暴行はさらに激しくなってきました。見かねた見物人の一人が飛び込んで奥を守り、警官隊も重い腰をあげたこともあり、奥は最後まで行進したのです。彼は本物の国士ですよ」市川市は奥氏のことをこのように語った。

防衛庁長官も協力を要請

 また、鹿児島県の奄美大島の東に位置する喜界島でも奥氏は次ぎのようなエピソードを持つ。

 喜界島には旧海軍時代から電波傍受のための特別施設が設置されており、それは戦後、防衛省の情報本部直轄の通信所として運用されている。平成13年12月22日、海上保安庁が漁船に偽装した北朝鮮の工作船を奄美大島沖の東シナ海で確認して追跡した際にも、不審船の電波をキャッチした通信所が、日本の安全保障にとって重要であることがわかる。

 しかしかつて防衛省は、この通信所の新システムへの切り替えをスムーズに行えずに頭を痛めていた。赤連(あかれん)地区のOTHレーダー(超地平レーダー。地平線の向こう側まで探知する)予定地の用地取得が一部住民の反対運動によって暗礁に乗り上げていたからだ。

 平成9年、用地取得の断念も視界にいれていた当時の久間(きゅうま)章生(ふみお)防衛庁長官は奥氏に協力を要請。その後の経緯を奥氏はこう語る。

 「長官と二人で現地視察に向かうつもりでしたが事情により私が一人で行くことになりました。喜界島では防衛局長、用地取得課の課長、喜界町防衛協力会の村上清会長らに出迎えを受け、早速、村上会長と市内の有力者を回りました。私が受けた印象は、意外なことに新基地建設に対する島民の期待感は大きなものだということでした。私が奄美方言で話せたのも功を奏したのか、島民が胸襟を開いて本音を教えてくれたのです。そこで反対派の家を訪問し、理解を求め、これなら推進できるとの感触を掴みました。

 東京に戻った私は久間長官に3ヶ月あれば用地取得はできると進言し、予算返上を止めさせました。そして喜界島にとんぼ帰りし、用地の売買にすぐ着手しました」

奥氏は、約束の3ヵ月後には、80パーセントの契約を済ませたという。そして残りの用地取得についても、反対派が仮登録などで抵抗する中で、着工後にはすべて終えた。そうして平成18年に喜界島通信所は完成し、東シナ海の守りの要となっている。

〝大儀〟には行動する人物

 平成28年に発足した沖縄県与那国駐屯地の陸上自衛隊誘致にも奥氏はかかわっていた。長年にわたり自衛隊誘致賛成・反対の闘争が繰り広げられた与那国では、平成25年の外間(ほかま)守吉(しゅきち)町長による「迷惑料」発言などがニュースになり、誘致問題は混迷していた。当時の事情を日本戦略研究フォーラム常務理事の長野俊郎氏は次のように語った。

 「実際、小野寺五(いつ)典(のり)防衛大臣は自衛隊の与那国誘致を諦めかけていたのです。反対派の声は大きくなるし、外間町長が要求した“迷惑料”にも政府は頭を抱えていました。私はこの手の問題を解決できるのは奥氏しかいないと思い、彼に“このままでは与那国自衛隊誘致を断念せざるを得ない。これを聞いた中国は喜ぶだろう。日本最西端の国境の島を君の力で守ってもらえないだろうか”と言いました。あの男は“大儀”には実際に行動を起こすんですよ」

 その後、奥氏はすぐに与那国島に飛び、基地建設に向けて動いたのだという。長野氏は、この経緯は防衛省の人間でも知る人は少ないとして、奥氏についてこう語った。

 「彼の強みは右にも左にもとらわられない筋道論。彼の交渉力と判断力は超人的ですよ」

 このように奥氏は異色の経歴を持つ人物だ。それゆえに、毀誉(きよ)褒貶(ほうへん)がある。

 ここまでは、大髙未貴 著 『父の謝罪碑を撤去します』<産経新聞出版>の中から概ね転用して紹介したが、その他にも調べてみると奥氏の功績はこれだけではなく、他にも表に出ない奥氏の実力を物語るエピソードがあることが解った。

奥氏の実力のなせる業(わざ)

 読者もお分りの通り、復帰後の沖縄の自衛隊配備については紆余曲折があったが、その要所要所に奥氏の顔が見え隠れするのである。

 その一つに海上自衛隊のP3C那覇配備のことだ。P3Cの能力をすべて発揮するには航空機をサポートする基地局が必要であり、つまり航空機の情報を瞬時に解析してまた航空機に戻してやるための施設である、沖縄には国頭村の伊地に設置されている施設である、この基地こそ戦後始めて新たに出来た基地だと言えるだろう、その用地の決定から開設まで奥氏の実力のなせる業であった。

 また現在航空自衛隊が運用している空中給油機の導入では自民党内で反対した当時の亀井静香政調会長を説得したのも驚いたことに、奥氏と当時沖縄県隊友会の会長を務める石嶺邦夫氏だったと言う。

 そこでその件について奥氏に直接聞いてみると亀井氏に抗議に上京したのは事実のようである。そしてその面談の場を設定してくれたのは当時右翼の重鎮だった山﨑市太郎氏という。山崎氏が亀井氏と親交の深い共同通信の福田氏に依頼して面談が実現した。面談場所は自民党本部の政調会長室だった。

 面談の場で奥氏は自衛隊那覇基地が置かれている立場を強調、尖閣で若し中国と戦えば燃料がなくなり3分しか戦えないと説明して、亀井氏から「俺も男だ、来年度の予算には必ず予算を付ける」との約束を取り付けたのである。奥氏は取材の中で「沖縄における自衛隊に関することで一番苦労したのは自衛官募集業務だ、自衛官の募集に携わる隊員こそ現代の戦士であり国民が最も理解しなければならない分野だ」とも語った。奥氏についてはまだまだ多くの謎に包まれた人物である事は確かである。

 小誌『現代公論』夏季号に奥氏が寄稿しているように、従軍慰安婦問題で韓国に殴り込みをかけたことでも、奥氏の人物像の一面が伺える。今後は、奥氏の支援団体や関係者により韓国軟禁から解放された記念講演会も企画されているようである。

 次回は9月1日に更新。毎月1日に定期更新、その他必要に応じて随時、適時に更新いたします。どうぞ時折本ブログをお開きください。

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