
2018年11月1日更新〈第79回〉
玉城デニー新知事の宿題<後編>
~基地問題は県民の英知を結集
~基地問題は県民の英知を結集
今こそ究極の施策・戦略を練れ~
はじめに<新聞週間が終えて>
新聞は民主主義の発展に欠かせない重要な道具であり、その道具の使い方を誤れば大変な魔力を発揮してしまう。偏向報道によって不都合の真実や他方の言論を封殺した場合がこれに当たる。また、戦前戦中の新聞を反面教師として、権力の側と対峙するだけでは新聞の本当の使命が果せないことも当然である。
毎年、秋の新聞週間になると日本新聞協会では「新聞標語」を発表して、その使命を謳歌しているが、時として新聞の現実と標語には大きな乖離があるのではないか。特に近年、沖縄二大紙の偏向した報道姿勢にはその感を強くする。
辺野古移設反対側の報道はどうだろうか。これはもう、毎日の新聞を見れば分かる。 直近では去る2月の名護市長選挙と9月10月の知事選、那覇市長選挙での特定候補者を利にする報道ぶり、紙面づくりだ。 筆者は現在までに幾度となく沖縄二紙を指弾してきたので詳細は省くが、沖縄の新聞は本当にこれでいいのだろうか。このような偏向報道を是正しない限り、“民意”が新聞の思う方向にどんどんと形成されていくことに大きな危機感を覚える。 「嘘も百回聞けば真実に聞こえる」という。たとえ仮に間違ったことを過大に、又は小さくでも繰り返し繰り返し報道されると読者はそれが真実と思うようになる。これが偏向報道の恐ろしさであり、魔力でもある。 新聞に理想だけを求めているのではない。報道には公正中立であれと警鐘を鳴らしているのだ。現代のようなネット社会が急激に発達していく時代に、どうやら新聞にも“天寿”があるような気がする。朝日新聞は全国の新聞の中で最も信用できないという調査結果も出ている。沖縄二紙の購読者も減少傾向にあるという。新聞の偏向報道が改まらない限り、広範の人心が新聞から去り、読者が新聞を葬る日が必ず来るであろう。読者には本物を見分ける“眼力”がある。
さて、「前編」に続き沖縄問題に移ろう。
玉城新知事の宿題
玉城デニー氏が翁長前知事の後継候補者であることを決定づけたのは例の「録音テープ」の存在だ。だが、繰り返して恐縮だがその「録音テープ」の音源を聞いたのは新里米吉議長ただ1人、玉城氏本人も聞いていないという。それでも沖縄県民は故翁長知事の遺志を継承するという玉城氏を後継知事に押し挙げた。
激戦だった選挙戦でも玉城氏は翁長知事の遺志継承を声高々と叫んだ。その叫び声が大きければ大きい程に玉城氏は翁長知事の後継者という縛りの中で県政を運営しなければならなくなる。また、そのことは玉城氏自身の政治スタンスにも一定の規制がかかるだろう。
玉城氏は沖縄の復帰後、屋良朝苗知事から数えて8人目の知事に当たる。保革を問わず歴代知事のほとんどが基地問題では頭を悩ましてきたが、その中でも前任の翁長知事は幾度となく国を相手に裁判を起こしてきた。ところが残念ながら裁判はことごとく連敗し、辺野古問題は何も解決しなかった。解決どころか、最高裁での県側敗訴によって、辺野古問題は大きく後退し、その一方、国側には最高裁の勝訴判決によって辺野古移設の国策を堂々と推進する大義名分を与えてしまった。翁長県政の大失態と言える。
その結果、国は辺野古工事を強行し、県はいたたまらなくなって、仲井眞元知事が下した埋め立て承認を撤回した。
ところが国は対抗措置として10月30日、とうとう県による埋め立て承認撤回の効力を一時的に止める執行停止を決定した。これによって県と国は再び裁判闘争に突入することはほぼ間違いないだろう。
翁長前県政の重ね重ねの裁判費用も全て県民の血税から支出されており、知事の失態によって強いられた県民の負担も実に計り知れないものがある。
玉城新知事が翁長氏の連敗した裁判手法までも継承するとなれば、今後も限りなく血税の浪費は続くことになる。それでも辺野古移設を阻止することによって、普天間飛行場の危険性も同時に除去することが出来れば大いに結構だが、それが出来ない場合は実に哀れの県政運営と言わざるを得ない。翁長知事は命を賭けて頑張ったが、無念ながらとうとう辺野古問題の落としどころを探せずに去ってしまった。後継者には辺野古問題の落としどころを探す責務がある。
米軍基地を抱える沖縄県知事は、基地問題から逃げることはできない。そうであれば玉城知事は、翁長前知事が負の遺産として残した国との対立関係を早期に回復し、基地反対の民意を県内外に発信するだけでなく、今こそ県民の英知を結集して、辺野古反対派も腹6歩で我慢し得る実効可能な究極の施策・戦略を改めて深く考察して見る必要があるのではないか。
新知事に課された大きな宿題である。
「県政の柱」から脱した所信表明演説
先般、玉城知事は、就任後初の県議会に臨み所信表明演説を行った。アジアのダイナミズムを取り入れた経済振興など主要な施策はおおむね翁長前県政を継承する内容であったが、注目の基地問題では翁長前知事のように刺々しく米軍基地の起源や過重負担の現況を強調する部分がなく、それどころか直面している埋め立て承認の撤回問題にも一切触れることなく、辺野古問題では、従来と違って穏やかな印象を与えた。
従って辺野古反対派から見れば“後退”。容認派から見れば“現実的”又は、一歩前進と言えるだろう。
翁長氏は就任時の所信表明演説の中で辺野古移設に反対して、あらゆる方法を駆使して阻止することを強調し、「県政運営の柱」とまで謳い上げたが、翁長氏の後継者という玉城知事は、あっさりと前県政運営の「柱」を素通りにした。「県政運営の柱」という言葉は一言も出なかった。
換言すれば玉城氏の県政運営の中では、辺野古阻止問題は翁長前知事が県政の「柱」とした程の重みを持たないということである。
琉球新報は社説の中で玉城知事の所信表明を指して、「民意を無視して強引に基地建設を進めてきた政府に対峙するなら、翁長県政継承の姿勢を鮮明にすべきではなかったのか」と批判し、同じく沖縄タイムスも「配布された所信表明文150行の中で、基地問題に触れたのはたったの2行であった」と批判的に報じている。だが、筆者は二紙のようには批判しない。 そもそも「所信表明」の受け取り方が違う。
また、県政野党の自民党も玉城新知事は辺野古問題に関して、選挙時よりも「弱腰になった」と指摘しているようだが、それも見当違いだ。そうではなく、玉城知事の所信表明演説を見る限り、玉城新知事は、翁長前県政の手法から脱していよいよ現実的になったと受け取るべきではないのか。
玉城氏は翁長県政の後継、遺志継承という前に政府との協議を前提とした解決を目指して、早くも辺野古問題では玉城カラーを出し初めたと見るのが正当であろう。今後の動向には大いに注視する必要はあるが、玉城新知事には前県政での悪しき例はどんどんと切り捨てて、沖縄県を間違いのない方向へ引っ張って行って欲しいものだ。
「八重山日報」の卓越した論調
筆者は毎年、秋の新聞週間のある10月は、図書館などにも通って出来るだけ本土紙も含めて多くの新聞に目を通すように心がけている。そこで目に留まったのが愛読している八重山日報の卓越した論調だった。
<玉城デニー知事が4日就任した。就任後初の記者会見では「普天間飛行場の一日も早い閉鎖と返還、辺野古新基地建設阻止に全身全霊で取り組む」と強調。
「対話によって解決策を導く」とも述べ、日米両政府に、対話の窓口を求める考えを示した。辺野古移設の阻止に向け「翁長雄志前知事の遺志を引き継ぎ、今こそ県民が心を一つにする必要がある」と県民に協力を呼び掛けた。
これに対し、管義偉官房長官は同日の記者会見で、辺野古移設について「日米同盟の抑止力の維持と普天間飛行場の危険除去を考えた時に、唯一の解決策だ」と改めて指摘。辺野古移設が実現すれば住民の安全性が格段に向上し、騒音も大幅に軽減されることや、米軍の海外移転が進むことなどを挙げた。
辺野古移設をめぐり、県、国の見解が真っ向から対立する状況は翁長前県政時代と何一つ変わらず、残念というほかないが、玉城氏は対話の必要性に言及した。県の辺野古埋め立て承認撤回はいずれ法廷闘争に持ち込まれる。最終的には司法判断を尊重する前提で、対話を重ねる努力を続けることは無意味ではない。一歩でも二歩でも前進してほしい。
翁長前知事は政府に対し厳しい批判を続け、日本の民主主義を疑問視するような発言さえ飛び出したため、沖縄と政府、本土との距離感を自ら広げてしまったようなところがあった。玉城氏は沖縄と本土の「分断」を持ち込んだのは政府だと主張するが、前県政に問題がなかったとは言えない。
玉城氏も辺野古移設阻止を公約に揚げて当選した以上、知事権限の及ぶ範囲で公約実現を図るはずだ。しかしそれが度を超し、移設作業を遅らせるためだけの妨害であったり、日本の安全保障を無視するような言動となれば、全国に共感を広げることができない。それが翁長氏の残した貴重な教訓だ。
米軍基地をめぐり、政治が取り組むべき課題は辺野古移設だけでなく、米軍基地の整理縮小、日米地位協定の改定など幅広い。前県政のように、基地問題の中から辺野古移設阻止だけを「県政運営の柱」と称するような状況ではバランスを失する。知事は基地反対派の代表ではなく、140万県民の生命や財産に責任を持つリーダーであることを改めて自覚する必要がある。
玉城氏は記者会見で、経済振興や子育て支援などの政策にも言及した。「アジアのダイナミズ」を取り入れた経済発展というフレーズは翁長氏と同じものだ。具体的には成長を続ける中国などからの観光客誘致維持を指していると思われる。そのためには港湾や空港などもインフラ整備は欠かすことができない。政府との連帯が必要だ。
「誰一人取り残さない政治」というフレーズも、玉城氏が選挙期間中から幾度となく口にしてきた。子どもの貧困や学力低迷など、沖縄の諸悪の根源として常に語られるのが、全国最低の県民所得だ。新県政にとって、経済政策が最優先の課題になっても不思議ではない。
玉城氏は母親の出身地が伊江島であることから、離島に格別の思いを抱いているという。離島の離島である宮古、八重山にどれだけきめ細かい施策を展開できるかも、新県政の印象を大きく左右する。知事の職務は多忙ではあるが、まずは現地に足を運び、住民の声を丹念に拾う姿勢が必要だ。>
これは10月5日、八重山日報<沖縄本島版>の「視点」である。同紙の「視点」は二大紙の「社説」に相当すると思われるが、当該の主張には全く同感だ。今回だけではなく八重山日報の「視点」が二紙の「社説」と異なるのは、実態を正確に、しかも客観的に捉えて、その内容も論理的であるということだ。限られた紙面の中で文体の構成にも感心する。また、同紙の中に日本維新の会の下地幹郎衆議院議員の記事も載っているので、ついでに紹介しておこう。
<日本維新の会の下地幹郎衆議院議員は13日のメールマガジンで、米軍普天間飛行場の辺野古移設に反対する玉城デニー知事に対し「自らの提案を持って(政府との)協議に臨む必要がある」と指摘した。
例として、国に辺野古移設断念を求める代わりに、移設先を見つけるまでの間「期限を区切って普天間基地の使用を認める」「一定期間、代替施設として嘉手納飛行場の使用を認める」「県は代替地を自ら提案する」ことなどを挙げた。
「普天間は危険だからすぐに出ていけ」「辺野古に新しい基地は絶対につくらせない」「移設先の提案は自分からはしない」という主張だけでは、「国と県の“協議”はまったく意味を持たないものになる」と懸念。
玉城知事が共産党の意見に耳を傾ければ、「“協議”はせずに主張だけで4年間を終わることになる」、玉城知事が政治の師と仰ぐ小沢一郎衆議院議員の意見に耳を傾ければ「中央の政局との複雑な関係に振り回され、沖縄のアイデンティテイとう言葉が失われる」と警告。「勇気をもって解決しようとする意気込みが感じられる新知事であれば、積極的に協力する」と述べた。>
下地氏の指摘も理に適っているが沖縄タイムスと琉球新報ではどうしても扱いそうにない記事である。また、10月30日、政府の意向で大手会社が携帯電話の料金値下げの検討に入った記事を八重山日報では一面トップで報じられたが、沖縄二紙では他面でしかも記事も縮小しての報道だった。
知事選の最中に菅官房長官が沖縄で「携帯料金を4割程度値下げする」と発言したことを否定、批判していた二紙では大きく扱う訳にはいかなかったようである。沖縄の活字メディアでは、このような例はいくらでもある。従って、沖縄の偏った言論空間ではどうしても八重山日報(沖縄本島版)も読んで初めて左右の空間が埋まるような感じがする。 <完>
次回、第80回は12月1日更新。毎月1日に定期更新。その他、必要に応じて随時、適時に更新いたします。
どうぞ時折本ブログをお開きください。