神山吉光が吠える

<第80回>普天間飛行場移設問題

2018.11.30

2018年12月1日更新 <第80回>

~容認派の目も疑わす琉球新報の「紙面」~

はじめに
 これが、読売新聞や産経新聞ではなく琉球新報の紙面なのかと、筆者は寸時に自身の目を疑った。11月13日の1版総合2面の記事である。
 普段、その面は辺野古移設阻止を煽る関連記事が、本当に嫌というほどに連載されているところだ。
 では、その記事がどのような内容なのか、当該記事の見出しと本文を原文のまま紹介しよう。

 国際司法裁判所元所長 小和田 恒氏に聞く
辺野古米と条件闘争を
       県外を困難視、国に進言

 <国際司法裁判所(オランダ)の元所長で15年在籍した同裁判所裁判官を6月に退任した小和田恒氏(86歳)が13日、琉球新報社を訪れ、富田訽一琉球新報会長、玻名城泰山社長と辺野古新基地問題や沖縄の課題について意見交換した。小和田氏は米軍普天間飛行場の県外移設は難しいとした上で「沖縄について日本は米国と条件闘矜持争をすべきだ」と述べ、若い世代に「沖縄の明るい将来に目を向けてほしい」と要望した。
 小和田氏は皇太子妃雅子さまの父。名桜大の客員教授を務めており、12日の同大での講演のため来県した。瀬名波栄喜前学長の案内で琉球新報社を訪問した。小和田氏の主な発言は、以下の通り。

 1972年の本土復帰の時に福田赳夫外務大臣の秘書官を務めた。1984年、外務省条約局長の時に米軍基地状況を知るために沖縄県内を回り、日本の国全体で沖縄のこと考えないといけないと思った。普天間飛行場をあのまましておくわけにはいかないと強く思った。北部訓練場についても、ベトナム戦争が終わった後にあそこでやる必要はない。ただ米軍にしてみれば今まで通りが一番いいだろうし、そう思っているだろう。しかし、日本政府が何もしないわけにはいかない。

 普天間問題を(国際裁判所在任中の2009年に)オランダから見ていたが、稲嶺恵一知事と岸本建男名護市長が頑張って辺野古に合意したのに、鳩山由紀夫さんがかき回した。どこかに移すとか、できもしないことを言うべきではない。現在は政府が強硬なのもあって県民は不信感を募らせているが、そういう状態を放っておいてはいけない。
 最も重要なことは普天間をどうにかすることだ。世界中を見てもあんな危険な基地はない。ただ、沖縄の外に持っていくことは不可能だ。機能をどこに持っていくかと言うならば、以前合意した辺野古だろう。日本政府は米国と条件闘争なら出来るのではないか。政府は米国ときっちり決めた上で、県と話し合いを持つべきだ。この点で橋本龍太郎さん、小渕恵三さんは頑張っていた。
 中国や北朝鮮のことを考えても、沖縄でなければいけないだろう。だから条件闘争だ。日本国民全体でどうにかしないといけない。沖縄には申し訳なくて口にはしないが、そのままにしておけということが、本土ではみんなの腹の中にある。沖縄と日本政府がいきり立ってばかりでは解決しない。
 若い人たちには沖縄の明るい将来に目を向けてほしい。どうやったら豊かになるのか考えてほしい。沖縄を久しぶりに訪れたら活気に満ちた場になっている。地の利もある。東南アジアに向けての経済の中心地として発展して豊かになっていくはずだ。
 沖縄に限らず日本の若者は素直で吸収力はあるが、自分でやらなければならないという意思が希薄だ。自分の道を自分で開いていくという気持ちが大事だ。中国でも講義をすることがあるが、あちらの学生はアグレッシブ(攻撃的)だ。
世界で何をするか考えるよう学生に刺激を与えるべきだ。

 要するに小和田恒氏の主張は、普天間の機能を沖縄県外に移すことは不可能、普天間の危険性の除去を考えるならば辺野古しかないだろう、ということだ。

 小和田氏が琉球新報を訪れたのは11月13日であった。しかし、その記事が報道されたのは6日後の19日である。二ユースの速報性を競い合う新聞社としては報道までの時間差が余りにも長すぎる。
 小和田氏の経歴と会見を読み合わせれば、翌日の14日にも載せるべき重みのある内容だ。推測だが琉球新報も小和田氏の発言をどの角度からどのように扱うか随分と迷ったのではないか。その調整に苦心も伺える。
 新聞記事は発生してから一週間も過ぎれば〝枯れ記事〟と言われるが、それでも琉球新報がその直前に載せたことは県紙の矜持を辛うじて維持したという感じがする。
 今後も今回のように、辺野古容認に関わる記事や論考にも公平に誌面を割いて欲しいものだ。そうすることによって紙面から真実が見えてくる。

 2月24日、いよいよ県民投票も目前に迫った。県民投票で辺野古移設を反対と賛成に分けた二者択一とする実施方法にも県内には賛否両論がある。
 二紙には一方に偏することなく両論を公平に扱うことを強く求める。
<完>

 次回、第81回は2019年1月1日更新。毎月1日に定期更新。その他、必要に応じて随時、適時に更新いたします。どうぞ、時折本ブログをお開き下さい。