

平成31年(2019年)4月30日、日本国民は皇室典範特例法に基づき、30年間の平成時代に別れを告げ、「令和」の新しい時代を迎えた。顧みて平成天皇、皇后両陛下は、国内外を巡り、行動することで喜びや悲しみを国民と分かち合う新たな象徴像を築かれた。毎年の全国植樹祭、国民体育大会、そして全国豊な海づくり大会への出席や、戦没者慰霊、被災地お見舞いなどのため日本各地を訪問、即位以降、両陛下は全都道府県を2巡された。沖縄への訪問は昨年3月で11回を数えた。昨年3月の沖縄・与那国訪問時に県民の奉迎に、にこやかにお応えになる両陛下
天皇はかつて「日本にはどうしても記憶しなければならない日が四つある」と述べられ、8月9日の「広島原爆の日」、8月9日の「長崎原爆の日」そして、8月15日の「終戦の日」と共に6月23日の「沖縄慰霊の日」を挙げた。
93年の初来県では「住民を巻き込む地上戦が行われ、20万の人々が犠牲となったことに対し言葉につくせぬものを感じます」と挨拶された。2012年12月の会見でも「日本全体の人が、皆で沖縄の人々の苦労している面を考えていくことが大事ではないか」と発言されている。
また、1996年4月に来日したクリントン米大統領との会見で、陛下は、沖縄の基地問題を念頭に「日米両国政府の間で十分に話し合われ、沖縄県民の幸せに配慮した解決の道が開かれていくことを願っております」と述べられた。実に画期的な発言である。
天皇、皇后両陛下が始めて沖縄を訪問されたのは戦後30年の節目の1975年だった。
同年7月、皇太子夫婦として沖縄の地を踏んだ両陛下を待ち受けていたのは、厳しい現実だった、戦没者追悼慰霊のため、南部戦跡に向かう途中、車列に牛乳瓶が投げられた。その後に訪れた「ひめゆりの塔」では、献花の直後、過激活動家に火炎瓶を投げ付けられ、波乱の沖縄入りだった。
同行した当時の屋良朝苗知事(故人)に「気にしないで下さい」と声を掛けられた陛下は、その日のうちに「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行動や言葉によってあがなえるものではなく、一人一人この地に心を寄せ続けることをおいて考えられません」との談話を発表されている。
そして13年4月28日、「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が開かれたときの事だ。1952年のこの日、日本の独立を回復するサンフランシスコ平和条約が発効したことから、主権の大切さを考えるため、政府がこの式典を主催した。
両陛下も出席されたが、陛下にはある視点から戸惑いがあったようである。宮内庁によると、陛下は各参与に意見を求め「あの当時、沖縄はまだ主権を回復していない」と疑問を口にされたという。
沖縄は米軍の占領が続き、本土復帰は72年だった。両陛下は「本土防衛」のために多大な犠牲を払ってきた沖縄に、皇太子時代の5回を含めて、昨年3月までに計11回も訪れて慰霊された。
沖縄タイムス社の県民意識調査によると、沖縄を訪問した天皇陛下の印象は「好感が持てる」が87.7%に上り、「好感が持てない」の1.8%を大幅に上回った。30年前の1989年2月の調査では、新天皇に「親しみを感じる」は53%であったが、在任中に沖縄県民からの高感度は飛躍的に上昇している。
2011年3月11日、東日本大震災が発生した。その翌日、東京電力福島第一原発の1号機が爆発する。14日には3号機の建屋も吹き飛んだ。東日本は地震、津波に続き、放射能汚染の危機に直面した。
そんな最中に3月下旬から両陛下による7週間連続のお見舞いが始まる。被災地に負担をかけたくないと気配りをされながら、両陛下による東日本大震災の被災地訪問はこれまで計12回。被災地の人々に両陛下は前を向く勇気を与えた。
また、天皇、皇后両陛下の外国訪問、国際親善は、政治や外交の利害とは一線を画し、日本への信頼感も培ってこられた。
1994年6月、17日間の日程で米大陸を横断した両陛下の訪米を、現地メディアは当初、冷淡に報じた。
だがやがて、現地の反応は温かいものに変化する。
ニューヨーク近郊の福祉施設で、少年からもらったおもちゃの紙幣を見せ合い、喜ばれる両陛下の姿が、市民を笑顔にした。ロッキー山脈の麓の散策では、車から降りて駆けだす皇后さまや、「カメラを忘れた」と車に戻る陛下の飾らない姿が、話題になった。
ニューヨーク・タイムズは後日、この散策の写真とともに「日米は先の大戦や経済競争を乗り越え、よりよい関係になれる」との識者談話を載せた。
戦後、昭和天皇の外国訪問は2回で、訪問先は欧州と米国計8カ国だった。平成天皇、皇后両陛下の訪問は、昭和天皇の名代も務めた皇太子時代を含め59か国に上る。
最初の外国訪問は、サンフランシスコ講和条約が発効した翌年の1953年。英エリザベス女王の戴冠式に出席する機会に欧米15か国をめぐり、チャーチルやアイゼンハワーといった米英の指導者らとも面識を持たれた。
即位後の公式訪問は28か国に及ぶ。90(平成2)年の記者会見で「あらゆる国が国際社会の一員として、国と国との交渉とともに、人と人の交流を通じて人類の幸福のために、住み良い世界を作っていかなければならない」との考えを述べられている。
根強い反日感情があった英国やオランダへの訪問では、市民との自然な交流が好感を呼んだ。戦後60年、70年、その翌年と、サイパンやパラオ、フィリピンを訪問、日本人に限らず、各国の犠牲者を慰霊されている。
国内外での天皇皇后両陛下の行動は常に絶大な好感を呼んだ。
両陛下の平成時代の行動や言動はまさしく、平成時代の新たな象徴像と言えよう。さよなら平成天皇そしてありがとう。
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