

新聞は民主主義の発展に欠かせない重要な道具であり、その道具の使い方を誤れば大変な魔力を発揮してしまう。偏向報道によって不都合の真実や他方の言論を封殺した場合がこれに当たる。また、戦前戦中の新聞を反面教師として、権力の側と対峙するだけでは新聞の本当の使命が果たせないことも当然である。
毎年、秋の新聞週間になると日本新聞協会では「新聞標語」を発表して、その使命を謳歌しているが、時として新聞の現実と標語には大きな乖離があるのではないか。特に近年、沖縄の二大紙の偏向した報道姿勢にはその感を強くする。
辺野古移設を推進する組織の結成大会が、去る八月宜野湾市内において国会議員や市町村議員を含め三百人余が参加して行われた。そこでは十二月までに辺野古推進を求める県民五万人の署名を集め、仲井眞弘多知事に辺野古移設の埋め立てを承認するよう求めていくことが決議されたが、その翌日の新聞ではそのことがあっさりと雑記事扱いにされた。また、その組織では、どうして辺野古移設なのか、ということもしっかりと理論づけもされているが、そのことも全く報道されなかった。
それにも拘わらず、組織の署名運動が功を奏して、巷では自然発生的に移設推進のブームが日増しに高まり、十一月中旬で七万人をゆうに越えたという。
ところが現実にそのような勢いのある社会現象が沖縄にあることを沖縄の新聞ではほとんど報道されない。
その一方、辺野古移設反対側の報道はどうだろうか。これはもう、毎日の新聞を見れば分かる。
直近では去る十一月二日、いわゆる辺野古移設反対側が沖国大で開催したシンポジュームのことだ。そこにも参加者が三百人程度しか集まらなかったが、その翌日の新聞では、なんと写真入りでの五段大見出しが紙面に踊り、また、その日のパネラーたちの主張も手厚く詳細に紹介され、それがしかも二日連続の報道には目を覆いたくなった。多くの読者がそう思ったに違いない。
これが沖縄を代表する二大紙の報道姿勢せである。
沖縄の新聞は本当にこれでいいのだろうか。このような偏向報道は是正しない限り、“民意”が新聞の思う方向に形成されていくことに大きな危機感を覚える。
「嘘も百回聞けば真実に聞こえる」という。たとえ仮に間違ったことを過大に、又は小さくでも繰り返し繰り返し報道されると読者はそれが真実と思うようになる。これが偏向報道の恐ろしさであり、魔力でもある。
新聞に理想だけを求めているのではない。報道には公平中立であれ警鐘を鳴らしているのだ。現代のようなネット社会が急激に発達していく時代に、どうやら新聞にも“天寿”があるような気がする。新聞の偏向報道が改まらない限り、広範の人心が新聞から去り、読者が新聞を葬る日が必ず来るであろう。読者には本物を見分ける“眼力”がある。 <本誌社長>
●新聞標語:「知りたい本当のことだから新聞」―第55回―1208文字