神山吉光が吠える

<第95回>社民党 存続の危機

2020.11.26

2020年12月1日更新<第95回>

次期国政選挙が正念場
 社民党が11月14日の臨時党大会で党の分裂が決定的になり、旧社会党の流れをくむ伝統的野党の存亡が危機に立たされている。大会冒頭で福島党首は「社民党は解散、合流の道を選択しない。存続する。」と挨拶。これに対して、沖縄二区選出の照屋寛徳衆議議員は、「先輩方が築いた遺産を全て食いつぶしたのはあなただ」と批判、勇退前の自身の怒りを福島党首に浴びせ、会場は一時騒然となった。
 結局、党大会は立憲民主党への合流の賛成、反対派の溝が埋まらないまま、合流のための離党を認める議案への賛否を問う投票が挙手により行われ、賛成が84人で、反対の75人を僅差で上回った。
 近年は選挙の度ごとに衰退していく党勢からすれば、必然的な流れでもあると言えよう。
 公職選挙法では、政党要件を、「所属国会議員5名以上」または「直近の国政選挙で有効投票総数の2%以上の得票」と定めている。
2019年参院選の社民党の比例選得票率は基準すれすれの2.09%だった。 次期衆院選の結果によっては、政党要件を失う可能性がある。
 社民党は1945年に誕生した社会党が前身。長年、自民党に対抗する野党第1党として55年体制の一翼を担った伝統のある政党だ。
 94年には、委員長だった村山富市氏を首相に自社さ連立政権を樹立。又、96年には社民党に改称した後も2009年に民主、国民新両党とも連立を組み政権を担ったことがある。

 党勢の低落が続く中での沖縄は、社民党が衆院選挙区で議席を有する唯一の県であり、現在の沖縄県議会では与党会派の中核も担っている。
 最近の選挙でも19年参院選で沖縄県内の比例政党別得票率は、自民党の25.9%に次ぎ社民党は2位の19.2%を獲得した。全国で社民党が得た比例106万票のうち、なんと10万票が沖縄からだった。
しかし、残念ながら国会では極小政党であるが故に大したことは出来なかったが、沖縄県内で10万票余の支持を得た政党の行方は沖縄にとっても重大である。

照屋寛徳議員の発言
 今期限りで政界を勇退する照屋氏にとって、先の党大会は何となく後味の悪い党大会になってしまった。花道どころか勇退時に所属政党の存続が危機に陥るとは実に情けない話である。
照屋氏の支持者たちもさぞかし複雑な心境であろう。
 ところで新聞報道によると、照屋氏は福島党首に対して、沖縄方言で「うわーび ちゅらーぬ、うちくんじょー」という言葉を投げ掛けたようだが、この方言は「表面すなわち顔形、容姿は端麗にして美しいが、心の中は鬼」という意味で沖縄には古くから残ってはいるものの、最近ではほとんど使われていない。なぜならば、沖縄には「会えば兄弟」(イチャリバ、チョウレー)という特有の風習があり、照屋氏が使った沖縄方言は最も憎たらしい相手に投げかける言葉だからだ。
 最後の党大会となってしまった照屋氏にとっては、あれだけ言わなければ腹の虫が収まらなかったのだろう。
 確かに福島党首に「指導性がない、党をまとめていこうと言う理念、努力が足りない」と批判するのは大いに結構だが、しかし、照屋氏は福島氏と長年党籍を共にして、今日まで党活動においても相当に親交のあった福島党首を特定し、「うわーび ちゅらー、うちくんじょー」とは余りにも言葉が過ぎるのではないか。
 照屋氏も現在まで党の役員として、党の運営には大いに関わってきており、党のこのような結末には福島氏と共に連帯の責任があるはずだ。あの言葉は決して照屋さんらしくもなく残念だ。
 報道によると、社民党は衆参4人の国会議員の中で、福島党首1人が残留し、他の3人は立憲民主党に合流の見通しだという。
 私見で誠に恐縮だが、照屋氏は今期限りで勇退の身であり、党を離れるのではなく社民党籍のままで勇退した方がいいだろう。そうでなければ勇退時の所属政党を自ら否定したことになる。
 さしずめ今後の照屋氏と社民党沖縄県連の動向にも注目し、同党に未来があるのかどうか、全国の地方情勢も含めて次の国政選挙を待つことにしよう。

(12月1日)


 旧社会党の流れをくむ社民党の今日的な末路に鑑みて、筆者にはどうしても忘れられない思い出がある。

 それは1980年代(昭和50年代)、旧社会党が華やかであった時代に同党が党是とした「非武装中立政策」を真正面から酷評した、自著『穴だらけの非武装中立論』を出版したことである。

 批判の対象は、当時、石橋政嗣社会党委員長が党是の解説本として自ら出版した『非武装中立論』だ。その頃、筆者は福岡在住であったが、福岡の紀伊国屋書店では、一週間余も新刊案内の店内放送が流され、又、当時は全国紙の広告審査が大変に厳しい中で、読売新聞が一面直下の広告を認めてくれことが功を奏し、地方紙でも自主的に新刊書評で扱うようになり、図らずも全国的に一定の評価を得ることが出来た。多くの地方紙が扱ってくれたが、たまたま、当時の鹿児島新報の書評が、手許にあるので、恐縮ながらその要旨を紹介しておこう。

 

 〈神山吉光著『穴だらけの非武装中立論』。この書は国内で議論を呼んでいる社会党石橋委員長の著書『非武装中立論』に真正面から対決。「野党第一党の国家安全保障の政策理論としては実に貧弱だ!」と痛烈に批判した異色書。

 そしてまた、内容的にも最重要であるべき「非武装中立」へのプロセスの説明が余りにも抽象的であり、全体として説得力に欠け、ある部分では逃げの一手に終始しており、「巷にある国会報告の演説に何ら変わらない」と酷評している。

 同書が将来翻訳され外国向けに流れるような事にでもなれば、それこそ「平和への道」どころか社会党の非武装中立政策は、いわゆる「降伏論」につながり、不法侵略を誘発する一種の戦争導火線に変身することも大いに考えられる。従って、石橋社会党委員長の「非武装中立論」は次代を担う若者にとって、国家防衛の方向性を見誤らせる重大な問題だと指摘。「国民が国の防衛政策及び政党の施策、政治家個々の発言や行動に深く注視し、主権者たる国民が厳しく目を光らせ、自由な立場で大いに議論し合うことが今日、最も重要だ。非武装ではなく、武装による国の安全保障こそが日本の選択すべき前途であり、平和への道標だといえる。」と著者は訴えている。        (閣文社刊 46判 206頁 800円)

 

 自著『穴だらけの非武装中立論』は筆者が若々しい頃に、浅学非才を顧みず書きたい放題に書いた著作本であるが故に、内容的には未熟然も漂ってはいるが、しかし、自身の国防論議そのものの主張には絶対に間違いがなかったと自負する次第である。

 時代の流れであろうか、あれから36年、著書で論陣を張り合った相手の政党が、今や解党状態の運命に直面しているとは何となく寂しい限りである

<完>


次回は1月1日更新予定