神山吉光が吠える

<第97回>雑誌『現代公論』 創刊50周年企画「拾い読み印象記事」第2回

2021.02.10



2021年2月10日更新<第97回>

はじめに

お陰様で本年夏先には本ブログ「神山吉光が吠える」が更新100回目を迎えることになり、また、本年10月には筆者が主宰する評論誌『現代公論』が前身誌『沖縄世論』から数えて、曲がりなりにも創刊50周年を迎えることになります。

 その意義ある周期に鑑みて、弊誌が報じてきた思い出の評論や掲載記事を本ブログ「神山吉光が吠える」の中で特別企画として時々連載で紹介しています。

 今回(第2回目)は、1990年秋の沖縄知事選で現職の西銘順治氏を破って当選し、知事に就任した大田昌秀氏(当時琉球大学教授、革新共闘会議推薦)に関する論評記事を紹介します。



(1991年(平成3年)『沖縄世論』秋冬号掲載)

これでいいのか 知事選の候補者選び

 過日、中央政界で活躍する大物政治家(元沖縄開発庁長官 山中貞則氏)との会食の中で、次のような会話を交わしたことがある。
 筆者 「西銘さんがあの知事選挙に勝つためには、何をしなければならなかったか」
 政治家 「それは、土下座してでも仲村、宮里両派に本心から詫びをいれて協力を頼むことだった」
 筆者 「西銘さんにはそれができなかったから、革新の大田さんが勝ったということですか」
 政治家 「いろいろあろうが、革新が勝ったというよりも、西銘君個人が革新に負けたということだ。仲村、宮里両君と笑顔で握手しただけで両派の支持者も選挙運動に動くと思っていたことが大間違いだった」と、その政治家はかなりの強い調子の言葉だった。
 選挙の結果は同年二月に行われた衆院選挙の保守票から一五〇〇〇票が大田氏に流れていった為に、結局約三万票の大差で西銘氏が負けてしまった。
 沖縄県民が久々に選択した選挙結果だったがその勝因、敗因はともかくとして、まずは十二年ぶりに誕生した革新県政に心から祝意を表したい。
 さて、大田革新県政の誕生に当って同知事に言いたいこと、聞きたいこと、そして、望みたいことについてを述べる前に沖縄県に於ける知事選の候補者選びと知事の就任年齢について私見を述べておきたい。
 まず、候補者選びの在り方だが、屋良知事(主席)の場合もそうであったが、どうも革新側は政党色の強くない無難な人を候補者に立ててくるクセがある。それには、いろいろな理由があるがその最も大きな理由は、革新共闘と言う寄り合い世帯であり、出来るだけ足の引っ張り合いがなく選挙に勝てる人ということだろう。
 しかし、保革を問わず単に選挙に勝てばいいという近視眼的な人選の傾向は、知事という重職に照らして必ずしも好ましいことではない。
 党籍がどうであれ政党人の中に政治力があって、堂々と沖縄県を引っ張っていける指導力のある人がいれば、皆でその人を知事候補に立てるという土壌をまず敷くべきである。
 革新側はそれがあってこそ、真の共闘と言えるのである。同時に保革両陣営にいえることだがこの際、高い次元で人選の日を県外に向けてはどうだろう。広い土俵から見識豊かないわゆる政治通で実力(総合的な意味で)の人を沖縄県の知事候補に引っ張ってくることも将来の課題として考えてもいいのではないか。
 知事選の人選をいつまでも県次元に限定することは、今どき古臭くてしかも閉鎖的で最早、時代遅れと云うことだ。
 やれ琉大の学長にも沖縄人、やれ県知事にも沖縄人という全ての面で沖縄人沖縄人とする物の考え方には、もうそろそろ終止符を打つべきだと思う。
 大田知事個人の評価を問題にしているのではない、保革両陣営が、知事候補の人選のあり方をこの際、原点に立ち戻って、高次元でそれを見直したらどうかと言っているのである。
 沖縄県と同じく、全国でも後進県としてよく引き合いに出されるあの四国の高知県では、年末に行われる知事選に県外から橋本前大蔵大臣の実弟である橋本大二郎氏(元・NHK記者、岡山県出身)を六万人の県民推薦(署名運動)で出馬させる事になり話題になっている。橋本大二郎氏は高知県とは何の縁もない人物だ。画期的な試みであり、その動向を大いに注視するとともに、このような広い視野で知事候補者を選択しようとしている高知県民には改めて敬意を表さずにはいられない。
 かつて、西銘前知事が沖縄芸大の創立に当って同大学の学長にあの有名な東京芸大の山本学長を引っ張ってきたとき、それだけでも県民の心はときめき大きな期待と希望を抱くようになった。
 もしも仮に、県外からの輸入知事が当選し一期四年間でも務めるとしたら、県民の意識改革はもとより、本土の人々の沖縄観にも画期的な変化を与えるであろう。

新任知事の年齢問題

 次に大田知事に照らしながら定年退職と知事の就任年齢について考えてみよう。
 先ず、定年退職という言葉から受ける一般的なイメージは「衰え」「疲れ」「終着駅」「隠居」などである。何故、定年制があるか、その理由は、体力の衰え、仕事の不能率、事故の発生防止、そして結果的には、後輩に道を開くということでその理由は官民ほぼ共通しているようだ。
 昨年、大学を定年退官された大田さんはこういう体力的な衰えが出始めた年齢に、しかも不慣れの政界で激務とされる県知事に就任したことになる。そして、長く今後四年間もその重責を全うしなければならないのだから自然に気も重くなる。
 では、西銘さんの場合はどうか、昔から政治が好きで好きで若い時から明けても暮れても政治をやっている人達は、動物的に衰えることを知らずその生活習慣がリズムにのって老いが調和し益々意気盛んになり、政界に高齢者が多いのもその証である。西銘さんも多分その類に属するであろう。
 知事の中では、東京都の鈴木知事や埼玉県の畑知事の二人はその代表的な例である。
 学校の先生から政治家になったという人は沢山いる。しかし、大学を定年退官されてその年から政界に入ったという話は、残念ながらあまり聞かない。
 福岡県の奥田知事や神奈川県の長洲知事などは、勿論、大学で現役バリバリの頃に政界へ引っ張り込まれたので頭の切り替えも早く、しかも政界でうまく順応している。
 大田さんが四年前の知事選で立候補し、当選していたら何の申し分もなかった。
 しかし、選挙に当選し、新知事に就任した以上そんなことを言っている場合ではない。未来の沖縄県の発展の為に新知事の仕事は県民一丸となってそれを支えていかなければならない。
 体力の衰えの出始めた頃に全く異なる世界へ飛び込んで来た大田さんだが、どうか、自らの健康管理には大いに気を配りながら向こう三年余の知事在任中、自信をもって県政を担当し、あの中央省庁の役人らに負けることなく、また海千山千の他府県知事らにも押されることなく、わが沖縄県を間違いのない方向へ引っ張って行って欲しいものである。
 では、そろそろ本論に入ろう。大田知事に言いたいこと、聞いてみたいこと、そして、知事に望みたいことを県外の視点でそれを述べることにする。まずは言いたいことだ。

四年満期で元のあの大田先生に

 私は、学者としての大田知事には大いに好感を抱いた。
著書も雑誌等の論文も多くを読ませてもらった。その卓越した研究実績には論評の一つ向ける隙間の余地もない。正に沖縄を代表し、全国に通用する学者の中の筆頭格であろう。
 だが、その大田さんが今や沖縄県知事となり、東京出張では慣れない国会周辺を舞台に見知らぬ政治家に軽口であしらわれ、そして、中央省庁ではあの強者の役人らとスッタモンダの交渉を繰り返している姿は実に痛々しく哀れに映り残念である。
 県民の中にあった大田さんのイメージは、決して、田舎政治家の真似ごっこをしている姿ではない、大学の研究室や自宅の書斎で執筆に専念し、そして領域の学問研究に燃えていたあの姿である。あの姿が終生末路まで輝いてこそ大田昌秀であった。
 かつて、NHKの元アナウンサー宮田輝氏はその人気番組「ふるさとの歌まつり」で全国的な好評を博し、その余波に乗って選挙に立候補し、とうとう政治家の道へと進路を転向した。しかし、国会の委員会で質問に立っていた宮田輝氏のあの姿はその周囲の雰囲気と余りにも不似合であった。
 そこで、大田さんに言いたい。知事は、残り三年余の任期を明瞭に全うし、そして、新人政治家として果たせるだけの仕事を精一杯に果して、無念であっても四年満期でこの汚らわしい政界を去り、再びあの大田先生に戻って欲しい。知事は従来のあの著述活動に燃えてこそ沖縄県民から強い好意が持たれていた事を忘れてはならない。
 早い話かも知れないが誰が何と言おうとも、「再選」や「続投」などと言うことに欲をだしてはいけない。
 このように考えると気も楽になり、選挙時の支持団体に気配りすることもなく、己の政治信念を貫き、結果的には、“本物の政治”が出来るのではないか。

あの選挙中の「ハチマキ」「バンザイ」廃止は。

 次に大田知事に聞きたいこと、それは昨年の知事選のことである。大田知事の性格を探る意味でも大切なことであり改めて伺いたい。
 大田知事は、選挙には鉢巻を絞めない、勝ってもバンザイなどないと公言しそれを貫いた。新聞報道はその理由を「戦時中を思い出すから」と解説している。しかし、沖縄県を含む全国津々浦々の選挙でハチマキ、バンザイはすっかり定着し選挙の必需品となっている。学校や自治会などの運動会で競技のときもハチマキ、また、勝っときはバンザイを三唱することも多い、そのハチマキとバンザイを見ただけで知事が戦争を思い出す程の小心者では、外にも出られない、何処にも行けない、故に政治もできないのではないか。
 大田知事のあの個人的な感情丸出しの姿勢を認めてしまった革新政党は、この際、あっさり沖縄県の全選挙でバンザイとハチマキを廃止したらどうだろうか。ハチマキなしバンザイなしのあの選挙で余りにも反戦知事、平和学者をアピールすることに終始し、むしろ全体としては大田昌秀の“真意”を疑わせる選挙でもあった。
 私はあの短い選挙期間中に大田知事の「誰の言うことも聞かないぞ」という恐ろしい程の独裁欲を垣間見た感がする。
 そこで大田知事に聞きたいことの第一点目。
大田知事、貴方は、本当にハチマキを見たりバンザイの声を聞くとあの血だらけの「戦争」を思い出すのですか?
 ならば、知事は得意の戦記物を描いたり、マスコミの戦争報道に接する事も、戦争記事の書物も読めない事になる。更に、これだけの事で戦争を思い出す程の知事だとすれば、南部戦跡にある慰霊之塔にも近寄れないはずである。
 ところが、知事は知事選告示日の早朝に南部戦跡のあの健児之塔に勝利祈願よろしく堂々と参拝しているではないか。
 その行動は、明らかに知事の戦争を思い出すハチマキ、バンザイ廃止の姿勢と矛盾する。
 指導者たらんとする者の言動、主義、主張、そしてその行動には常に一貫性が要求されるが、選挙中にこのような大田候補の矛盾した行動に対抗馬の西銘陣営から何の批判も出なかったことは、同陣営の欠落した選挙熱意の現れであっただろうか。
 また、笑いも大笑い、開票時に大田候補の「当確」がテレビから流れた瞬間、大田知事の左右の席に陣取っていた革新首脳陣らが大田候補のハチマキ、バンザイ中止の意向を忘れて、いきなりいつもの通りのバンザイを叫ぼうとしたあの光景は、いかにもコッケイであった。

どこまで及ぶか大田県政の女性の社会進出

 次に大田知事に聞きたいことの第二点目。
それは、話題の女性副知事の登用問題と女性の社会進出の問題である。その問題、昨年十一月の選挙時に大田知事が公約で提唱し、当選後は全国的にも話題の的になった。
 しかし、そうこうしている間にとうとう東京都の鈴木知事に先を越されてしまった。衆知、東京都では全国初の女性副知事に経験、実績、識見ともに優れた金平輝子氏が就任し早くも都政に新風を巻き起こしつつある。
 女性の社会進出には何一つ異論はない。副知事に限らず知事選にもどんどん立候補者として堂々と有権者の審判を受けて欲しいものだ。
 しかし、やれ選挙公約だということで女性の副知事についてはその適正を問わないという、いわゆる“適正不要論”に近い選択のあり方には絶対反対だ。
 政治家としての資質と個性、副知事としての適性と能力、公職の経験と実績、指導者としての人格、見識などは男性と同じく厳正に審査されてこそ男女平等の本当の社会進出といえる。
 東京都の副知事に就任した金平氏は、就任時のインタビューに答えて「私(女性)が副知事に起用されたことでそんなに騒ぐこと自体に問題を感ずる、男性の時と同じ目で見てほしい」旨のコメントを発表したがそれには全く同感である。

 要は、女性の社会進出についても男女平等の観念と同じモノサシで、厳正の気持ちで計って欲しいということだ。
上里副知事案件は理由あって議会で否決された。
 議会から否決された以上、大田知事はついいまでも上里氏案件に恋々とせずそれに勝る次の候補者選定を急ぐべきだったが知事はそれを怠ってしまった。
 現行の副知事二人制はそれが必要不可欠だから条例でも二人制と定められている。それが長く九ヵ月間余も空席のままであったことは実質的な行政空白であったと言わざるを得ない。
 また、それによって県民にいくらかの損害が強いられていたことを知事は忘れてはならない。
 革新与党や女性副知事推進論者にも責任は大ありだ。上里氏案件が駄目なら、当初からそれに代わる次の候補者の名前を挙げて然るべきであったが、その気配が全く感じられなかった。
 そこで大田知事に聞きたい。現在の県政は、知事、両副知事共に政治は素人であり新人中の新人だ。女性副知事の登用は知事の選挙公約であり、それはそれで結構なこと。そこで知事は今後も県政には大いに女性を登用させたい旨の公言を吐いているが、果して県政のどの級でどの範囲までそれが及ぶのか不透明で見当がつかない。そこら辺について知事の見解を賜れば幸いだ。
女性登用で人気取りを画策する余り、素人集めの人事で県政を弱体化させることは、結果的には他県との力関係でマイナス要因を構築することになるからである。
 復帰から二十年。今だに後進県と指される沖縄県は、県政の弱体部分を補強する強者揃いの人事で強力な県政を構築しなければならない重要な時期に、女性の社会進出を名分に素人集めの人事はいかがなものかと聞きたい。

どうなった!大田知事の週刊誌問題

 さて、最後に大田知事に望みたいこと。
 それは、目に見えない大田知事の心と知事の政治姿勢そのものについてである。
 為政者はどうあるべきか、それについては教授畑の知事は既にそれを政治理論として熟知し、また、心得もあるだろう。従って、ここでは知事の理想像については触れない、もっともっと現実的な範囲で大田知事に望みたいことを二点ばかり整理してみたい。
 先ずは第一点目に大田知事の心の問題である。これは、ある意味では大田知事の私生活の問題で実に恥ずかしいことだが重要なことなので知事はそれをしっかりと受け止めて欲しい。さて、大田知事の就任早々その興奮も納まらぬうちに、本土のある有力週刊誌が、「別居十六年、大田沖縄県知事のハワイにいる妻」と大見出しを打って大田知事の過去の私生活を大々的に報じたことかある。本土三大紙の広告にも大きな見出しが躍り、その記事は全国の県人社会に衝撃波となって流された。語りたくもない!私はあの記事を見て大きなショックを受けた。そして、あの記事は私の頭の中にあったあの大田昌秀のイメージを根底から変えてしまった。
 いや、私一人ではない!おそらくあの記事は本土在住の多くの沖縄県出身者にも大変なショックと「まさか、あの大田昌秀先生が・・・・・・」という異様な驚きを与えたであろう。
 そこで、大田知事に望みたいこと第一点目である。
 大田知事、知事はあの週刊誌で報じられたような記事が事実と反するならば、今からでもその週刊誌を告訴して、どうしても知事自ら白黒の決着をつけて欲しい。そして全国の有力紙に同週刊誌の謝罪広告を掲載させ、それが虚報であったことを明らかにして欲しいものである。
「人の噂も四十日を過ぎたら忘れ去る」という古い諺があるが、あの記事は決してその類として黙殺で処理できる性質のものではない。
 大田知事は、あの記事によって自らの名誉を毀損され、そして就任早々に県知事としての信用をも大きく傷つけられた。
同時に沖縄県政にとってもそれらが何らかな形でマイナス要因に働いていくことを忘れてはならないー。ではどうするか!
これらの対処は、大田知事自身がよく承知の通り、知事の判断一つでどうにでも処理の方向が決まる。
 県政の信用回復の為にも早急に然るべき対処をされるよう強く望むものである。
 本土では、これらに類する問題が生じた場合、その対処方が必ず報道機関によって明らかにされている。
 福岡県の奥田知事。同知事は兵庫県出身で九州大学教授を辞して、革新側の支援で知事に当選したいわば大田知事と同じく教授畑の知事である。
 奥田知事も選挙中は保守県政を批判しクリーンな政治を売り物に激しい選挙戦の末、予想どおりの僅差で当選を果たした。
 しかし、知事就任直後に令夫人の見事なまでの選挙スキャンダルが発覚しマスコミで大騒ぎとなった。
 「まさか、あのクリーンな政治を訴えた奥田知事の奥さんが!」
と、県民は手の平を返されたようにア然となったのである。
 当然、奥田知事はマスコミを相手どり告訴で対処するものと思われていたが、ある日突然奥田知事はこの事件に関して、「誠に申し訳ない」
と、知事自身がテレビカメラの前で深々と頭を下げ夫人の非を認めたのである。
 謝罪する奥田知事の姿は実に哀れであったが、しかし、そこを敢えて避けて通らなかった奥田知事の勇気と素早い対処方は事件によって失われた信用を回復するのに充分であった。
 そこで、問題の性質は多少異なるものの沖縄の大田知事が今だにあの週刊誌問題を放置していることは誠に残念である。
―守礼の邦沖縄―、現在同問題に関する対処方が告訴で進行中だとすれば、その経過と実情を県の広報紙や何らかの広報機関を通して県内外に広く知らしめる方法を講じて頂くよう強く求めるものである。
 これらの対処は、むしろ大田知事自らの個人的責任といえよう。

知事は先手を打って、革新支持母体との離別を

 次に、大田知事に望みたいことの第二点目に移ろう。
それは大田知事の政治姿勢の転向の問題である。
十二年ぶりに勝ち取った県政は実に尊いものだが敢えて、革新側の安眠妨害を承知の上でそれを述べることにする。
 さて東京都の鈴木知事は衆知の通り四期目までは自公の推薦で当選し、今回の五期目の選挙では自民分裂という実に変則的な形で当選を果たした政治家である。
 また、埼玉県の畑知事は革新政党の共闘的な支援で四期を勝ち抜き、そして来年は第五期目を迎えるベテランの政治家である。
 東京都の鈴木知事、埼玉県の畑知事は共に当年で八十才を超える長老政治家である。
 しかし、若い頃から政治が好きで好きでその生活習慣が昔から日常生活に定着し、仕事もリズム化している為に体力の衰えもなく、両知事は共に政治感覚も抜群である。
 東京都の鈴木知事は四年後の六期目に挑戦するかどうかは現段階でそれを予測することは出来ない。しかし埼玉県の畑知事は現在のところ五期目の続投を目指して元気ハツラツにそのエンジンを振る回転させている。
 保守系の鈴木東京都知事と革新系の畑埼玉県知事の過去の政治手法はおおむね共通する部分が多い。具体的な例は省略するが近年特に両知事の政治手法を見て感じることは、そのスタンスがいかにも共通しているということだ。
 すなわち、選挙が終わって知事に就任する時点では、意識的にも激しかった選挙戦のことはそれを忘れ去り、保革の垣根を完全に取り払い、都民党・県民党の立場に立ち戻っている。
 特に埼玉県の畑革新知事などは選挙が終わって間もないというのに、地元の自民党代議士や県連幹部らとゴルフコンペを組んだり、その変身ぶりの行動は実に満点である。
 県民は知事のそうした日頃の姿勢を眺めていて実に爽やかでさっぱりした気分になる。
 要するに、都政や県政の運営に当たっては、主義・思想・党派はあまり問題にしないという、両知事のこうした政治姿勢はそのまま都政や県政を発展させる大きな原動力になっているのではなかろうか。
 大田知事も鈴木、畑両知事に勝るとも劣らないりっぱな政治哲学をお持ちであろう。
 そこで、大田知事に望みたいことの第二点目である。
知事はこの際、あの選挙中の革新内部の申し合わせを一掃し、その全てを見直し、大田昌秀自らの本当の政治姿勢を確立してみたらどうだろうかー。
 十二年ぶりの県政を勝ち取った革新側にすれば実に耳障りであろうが、これが望みたいことの第二点目である。
 選挙時の革新内部の申し合わせや政策協定をなくし、その全てを原点に立ち戻って見直すこと、これは文字通り大変なことだ。しかし、大田知事ならそれがやれると確信する。
 知事は、大波乱を覚悟してあの選挙時の革新支持母体のことは全部忘れ去ることだ。そして、選挙時のいっさいの事を頭の中から一掃することである。
 大田知事ならそれが出来る。
毎回の選挙で支持母体に頭を下げて当選してくる政治家に、そんな荒っぽい大変革を望んでもその実行は到底無理だろう。しかし選挙直前まで大学教授であった大田知事にはそれが比較的容易に出来る。
 その理由は、知事の経歴を見ただけでも明らかである。知事は今日まで選挙に自ら立候補した事が無い。故に革新のどの団体にも世話になった事がない。
 従って、普通の人より支持団体との離別は簡単である。
去る選挙でも県民が衆知の通り、大田知事は自らが画策して立候補したのではなく、革新共闘から頼まれて頼まれて立候補したようなものだ。
 従って、大田知事は自らの政治信念が徹底的に貫ける絶好の立場になる。
 だからこそ、あの選挙戦で伝統的なハチマキ、バンザイをいとも簡単に廃止することが出来たのである。
 先の軍用地強制使用の知事裁決問題でも、大田知事は革新側の反対を押し払ってとうとう知事自身の信念を貫いた。
 同裁決は、「関係省庁連絡協議会」の設置が表向きの条件になっているが、あれで沖縄の軍用地問題が県民の期待通りに前進するとはだれも思っていない。知事自身もそのことは百も承知であろう。
 あの条件闘争は要するに、知事が裁決に及ぶ為の一つのポーズだった。革新側もかろうじてあの「関係省庁連絡協議会」が条件として表向きの理由とされたから、あれ以上に知事を意地に追い込めるようなことはしなかった。
 あの「関係省庁連絡協議会」は中身は空っぽでもある意味では革新側の逃場にもなっていたのである。
 結局、選挙時にハチマキ、バンザイなしで革新側を“右並え”させたように、そこでも大田知事が自ら支持母体に“右並え”させたのである。

女性副知事問題

 尚副知事の就任問題でも大田知事のこの頃の心境の変化を見ることが出来る。
 当初、上里副知事案件が否決された時、知事は東京出張中に“残念だ”との談話を発表したが、しかし知事はその後も積極的に動こうとしなかった。かけるだけの時間はたっぷりとかけた。
 そして、一定の間をおいた今日に、知事は本当に自分の思う人を副知事に就任させたのである。
 尚副知事は、その経験・人格・識見といい何一つ申し分ない人物だ。
 夫の故尚詮氏は、かつて自民党から国会議員として立候補した経験があり、また、尚家の家柄は歴史的にも特権階級の保守そのものであって、そういう環境の中にあった尚氏から赤旗・労働者の革新イメージを引き出す事は常識的に見ても無理があろう。
 前に否決された上里氏が左であったとすれば、今度就任した尚氏の位置はそのはるか右の方にあると言えよう。
 ある革新政党の首脳がその頃「尚氏案件を承認するくらいなら当分の間は空席にしておいた方がまだましだ」と在京県人に本音を漏らしたというがその話は実に的をついていて今後の沖縄革新を読む上で意味深である。
 どうあれ、革新側は今度の副知事案件が二度目であり、選挙公約との絡みで今回は如何してもそれを承認しなければならなかったという、いわば岸壁に立たされていたのである。いや正確には大田知事そのものが自身の支持母体を岸壁に追いやり、そして尚氏の副知事案件の承認を迫ったというのが実際であろう。
 野党の自民党はどうだろうか、それは文句なしに尚氏案件を承認することになる。
 それは尚氏の背景から見て当たり前の事でそのことは大田知事も承知であった。
 従って、今回の尚氏副知事の承認問題で大田知事が最も心配したのは野党自民党の出方ではなく、の支持母体である与党の出方にあったのではなかろうか。     
 それはそれとして、ここでも大田知事は革新と支持母体の轟々たる本音を押えて自らの考えで副知事人事を処理したのである。
 大田知事のこの頃の心境の変化はある意味では次第に政治の現実を体得してきたと言えよう。
 大田知事のこのような政治姿勢は県民党的で大いに歓迎されることである。
 過日、知事は基地問題で米国要請にも出向いたが、どうやら大田知事はあそこでも本物の革新とは受け取られてないようである。
 大田知事の最近一連の心境変化となかんずく知事のこのような政治姿勢に対して、革新与党がいつまで我慢出来るか、それは大いに興味あるところだ。
 選挙でさんざん苦労して勝ち取った県政であり、革新側はいつまでも大田知事の半ば革新無視の政治姿勢に対して「わかった、わかった」で「賛成、賛成」という訳にも行かないだろう。
 そうすると、政治の伝統からすれば先ず共産党あたりが下部組織の突き上げて反旗を翻す可能性は大ありである。
 いや!共産党だけではない、革新与党や支持母体の全にのその要素が充満していることを大田知事は知るべきである。
 そこで、「アキサミヨー辞めた」と県政を投げ出さなければならない状況に追い込まれる前に、大田知事は革新の先手を打って県民党的な立場で自らの政治信念を徹底的に貫ける政治環境を確立することが緊要である。その為には先ず選挙時の支持母体の事を全部忘れることである。
 そして、一党一派に偏することなく、左右どちらの陣営からも支持が得られる本当の意味での県民党的な政治基盤を確立し、今こそ県民の英知を県政に結集させ、本土他府県に決して劣らない二十一世紀型の素晴らしい沖縄県の夜明に向けて、尊い一石を投じ得る現代政治家の模範となる政治姿勢を示して欲しいのである。
 最後に、「革新や支持母体のことは全部忘れなさい。」と言っているのは、ついでに「選挙公約も全て忘れろ」と言っているわけではない。私は選挙公約は政治家にとって自らの命と同格に大切にしろ!と言いたいくらいである。
 従って、大田知事も自らの選挙公約は最低限でも実現の方向で努力し、尚且つ、その公約になかったこと、即ち保守的、自民党的な政策でも大田知事の判断基準に照らして、それが、政策として価値高いと判断した場合、知事は革新や支持団体に気遣いすることなくその政策を堂々と県政に反映させて欲しいと私は主張しているのである。
 大田知事ならそれができる。幸いにして知事には、補佐役として本籍自民党、現住所革新の二人の副知事が就任し用意は周到である。(完) 


次回は3月10日更新予定